朝の風景 エクレア編



 素敵な夢を見たと思った日に限って、夢の内容はよく覚えていない。

 ただ、楽しくて目覚めたくないのに、朝の黄金色をした日差しのおかげで、眼が醒めてしまう。

 それを恨めしく思いながら、エクレアはベッドの上で大きく伸びをした。さらり、と長い金色の髪がベッドから逃げ、朝日の色を反射させて、水面のように鮮やかに輝いた。

 階下からは、朝食の香りが漂って来る。現金なことに、ぐう、と腹の虫が鳴いた。

「ふわぁあ、お腹ペコペコ〜っ! 早く、ご飯、食べないと、倒れちゃいそう」

 ひとりごちながらベッドを降りて、顔を洗う。毎朝、ベッドの横にある足の高いサイドテーブルには、盥が置かれ、その中には、薔薇の香りを落とした水が用意されている。エクレアは、特別に頼んだ訳ではないが、身の回りの世話をする、家事妖精のシルキーが、機転を利かせて薔薇水を少しだけ混ぜているようだった。

 薔薇水は、肌に良い。

『聖女』に選出されたは雖も、普通の年頃の少女であるエクレアに取っては、贅沢な品だったが、シルキーの心遣いだと思って、素直に受け容れることにした。

 用意されているタオルは、ふんわりとしていて肌触りも気持ちが良い。着替えを済ませて、部屋の空気を入れ換えた。


 清々しい朝の空気が、一気に部屋へ入ってくる。

 部屋から街を見下ろす。

 部屋は通りに面しているから、石畳みの街を、馬車で行く人がいる。この人は、もしかしたら、今から登城する人かも知れないし、急いでいる商家の当主かも知れない、もしかしたら、急病人のために一瞬を惜しんで馭者を急かせている医師かも知れない。

 街行く人もいる。大きな荷物を背負って市場の方向へ向かっている行商人、近くの定食屋で朝食を買って、時間を惜しんで口いっぱいにおにぎりを頬張りながら、足早に行く女性の頬には、いくつかの米粒がひっついている。

 うにゃぁ、という声が聞こえたと思えば、『ぬっこ』屋が、配達に出た所のようだった。巨大な猫『ぬっこ』に車を引かせて荷物を運ぶ猫車にしているのだった。馬に比べて、『ぬっこ』は沢山の荷物を運ぶことが出来る。

 あまりにも、普段と変わらない『日常』の風景だった。

「信じられないなー」

 エクレアは窓枠に肘をつきながら、小さく呟く。しばらく見下ろしていても、行き交う人たちは、日常の中にいる。荷物を運び、仕事へ向かい、食事を摂って、そうやって生活している。見上げれば空は青々として晴れ渡っているし、春風も気持ちが良い。

「何が信じられないんですか?」

 ふいに後ろから涼しい声で言われて、「わあっ!」とエクレアは驚いて振り返った。

 振り返ったそこには、家事妖精のシルキーがいた。家事妖精、というだけあって、メイド風の衣装を着ている。

(凄く似合うんだけど、たまりには別な服とか着てみたくないのかな。いろんな服が似合いそうなのに)

 そんなことを思いつつ、エクレアはシルキーの涼しい美貌に微笑んで、

「おはよう、シルキー。信じられないって言ったのはね……」

 と窓の外を示した。先ほどよりも、若干、人は増えていく。寝静まっていた人たちが、次第に、起き出してきたのだった。街は、今から、もっと活気に満ちていくことだろう。

「人が多いですね」

「うん、そういうことなの。……この間、王子様から伺ったけど、私が……『聖女』が召喚された―――ということは、世界の終わりが近いって言うことなのよね? でも、みんな、そんなこと、全然、知らないみたいに……普通にしているから。それが、少し、不思議だと思って……」

 エクレアは、シルキーの怜悧な美貌を眺める。エクレアの言葉にも、彼女は、眉一つ動かすことはなかった。

「聖女は、度々召喚されますから……みんな、それほど、気にしていないのでしょう。だから、『前もあった』『良くあることだ』と思って居る方は多いと思います。実際、家事妖精仲間の中でも、おつかえしている方が、そういうことを仰有っていたという話はよく耳にします」

「そっか」

 エクレアは、そう呟いてから、王子の言葉を思い出していた。

 四月一日の朝。

 それは、ほんの数日前のことだが、なんとなく、不思議な夢を見たような気がしていた。なにかに呼ばれるような夢だ。そして……差し込んでくる朝日が眩しくて、手で遮ろうとしたら、手の甲に、不思議な紋章が浮かび上がって……そして、程なくしてから、家へお城からの使いがやってきた。

 エクレアが『聖女』として選出されたので、召喚されたと言うことだった。何も解らないまま、城で王子に謁見し、そして、『聖女』の守護者だという方達を紹介して貰った。

 その時に、王子が放った言葉が、エクレアを、不安にさせたのだった。


『今回は、もしも失敗した場合、世界の崩壊が始まる。今までの気楽な『聖女』とは、役割が違うのだ』


 だからこそ、万全の体制で、世界を救うことだけに注力してくれ。というのが、王子の言い分だった。とにかく、理由はわからないが、今回は、絶対に、失敗が許されない―――ということだけは理解した。

「なにか、心配ごとですか?」

 小首を傾げながら、シルキーは言う。だが、やはり、表情は殆ど変わらなかった。先ほどの、怜悧な様子、そのままである。

「なんか、失敗できないと思うと……、ちょっとプレッシャーが掛かるよね。でも、大丈夫! 私、あと、二十日もないんだし、全力で頑張るよ!」

「私に出来ることがあればお申し付け下さい。……さあ、朝ご飯が冷めてしまいますので、お早く」

「あっ! お腹ぺこぺこなの〜っ!! 嬉しい!! 今日の朝ご飯って何?」

「本日は、柑橘の酸味で作ったドレッシングを使ったサラダ、とろっと仕上げたスクランブルエッグと、おにぎりです。野菜のスープと、バターですよ。いつも通りです」

 淡々というシルキーに、「毎日、一緒って訳じゃないでしょ!」とエクレアが叫んだ。

「そうですか? レシピ通りに毎朝作っていますが……」

 当惑顔のシルキーに、エクレアは、ピッと指を立てて、語り始める。

「レシピ通りでも、毎日、全く同じには作ってないでしょ? 昨日は少し肌寒かったから、スクランブルエッグは、ふんわりしてた。今日は……多分、予想だと、とろっとでしょ?」

「ええ、まあ、でも、それは、……当たり前の事ですし」

「当たり前じゃないわ。感謝してる。私、毎日ご飯が美味しいと嬉しいんだから! お弁当のおにぎりだって、いつも、具がロシアンルーレットで楽しいし!」

 シルキーは、つ、と顔を背けた。恥ずかしいらしい。耳は、赤かった。

「だから、いつも、私は楽しく過ごせているの! さ! 私、おなかぺこぺこなの。早く、行きましょ!!」

 そういいつつ、エクレアは、一つ、気になっていたことを思い出して、シルキーに聞いた。

「ねぇ、いつも思うんだけど、なんで、朝食を食べるときには必要ないのに、いつも、たっぷりのバターを用意してくれるの?」

「えっ?」

 シルキーは虚を突かれたような顔になってから、首を傾げて、考えているようだったが、答えは出なかったらしい。

「済みません……解りません。ただ、それがマナーと言うことで、決まっているのです。食事の際には、たっぷりのバターを用意しておくこと……というマナーです。なにか、調べれば、答えは出るのかも知れませんが……」

「ふうん……まあ、世の中、変わった風習って、確かに沢山あるわね」

 エクレアはそう納得しつつ、階下のダイニングへ向かったのだった。そこには、既に、ほかほかの白米で作った、おにぎりとおかずたちが用意されているはずだった。



 end