朝の風景 ヴァレニエ編



 朝がくるたび、ヴァレニエは、得体の知れない違和感と対峙しなければならなかった。

 侍女達の手によって運ばれてくる食事……。それが違和感の原因である。

 この国の朝食ならば、食卓には、透き通るような純白をした『銀シャリ』で作られ、海苔という漆黒のドレスを優雅に身に纏いし『おにぎり』が、たっぷりのバターと共に供されるのは、実に普通のことである。だが、その『普通』にヴァレニエは、どうしても疑問を呈さずには居られなかったのだった。

(朝食の風景というのは、もっと、香ばしいものだったはず……)

 ヴァレニエはそう思うが、いままで、誰に言っても、賛同を得られたことはなかった。

 だいたい、この『おにぎり』に対して、バターは使用するわけではない。ただ、添えるだけ。王宮の片隅である、このヴァレニエの居室には、さらに、草木の実を煮詰めて作ったジャムなどがふんだんに付くが、やはり、おにぎりにあうものとは思えない。

(もともとは、きっと、別な何かが……)

 そう思いつつ、おにぎりを凝視していると、

「まーた、あなた、妙な顔して。侍従の皆さんが困るから、とっとと食べて下さいよ」

 という、呆れ声が聞こえてきた。

 鮮やかな緋色の髪に、ピンク色のウサギ耳をくっつけたこの男は、アルティリス王国の王子であるヴァレニエに対して、平気な顔をしてぞんざいな口を利くのが常だった。長年、従ってきた従者という気安さは、お互いにあるだろう。

「ペシェンヤ、お前も毎朝、煩いぞ」

 横目で睨み付けるが、ペシェンヤは気にした風もない。それどころか、たんまりと皿の上に乗ったおにぎりを、一つ手にとって口へ運んだ。

「ペシェンヤ」

 ヴァレニエが低い声で怒るが、ペシェンヤは「毒味ですよ、毒味〜」と手をヒラヒラと振っている。

「何が、毒味だ」

 と言いながら、ヴァレニエは、侍女に目で合図をして、おにぎりを皿へと取って貰った。

 ナイフとフォークを使って、おにぎりを食べる。庶民は手づかみで食べると言うが、ここは王宮なので、相応のマナーがあった。おにぎりは、ナイフで半分に割って、中に入っている(或いは入って居ない)具材を愛でつつ、皿に、一口大に切って、食べるというものである。

 それにも、疑問があった。

 なぜ、庶民が手で持って食べるというものを、わざわざ、ナイフとフォークで割って食べなければならないのか。そして、頭の中に、靄が立ちこめるようで、輪郭さえ捕らえることができないが、なにか、もっと、違うものを食べていたような気がするのだった。

 それが、毎日のことなので、ヴァレニエは、どうしても苛立つ。

 この、もやもやとした気持ちから解放されるべく、ヴァレニエは、よく図書館へ向かっていた。この国には、世界中のありとあらゆる書籍を蔵書しているという、セリネ=ア=ノルデ大図書館が在るが、そこの立ち入り許可は、王子であるヴァレニエでさえ出ていない。

(あの図書館にさえ行くことが出来れば……)

 きっと、何か解るはずなのに……とヴァレニエは思う。

「殿下〜、そんなにおにぎり嫌いなんですか?」

「いや、おにぎり自体は嫌いではない。ただ……それ以上に大切なものがあるような気がしてならないから、気になっているだけだ」

「それ以上に気になるってなんですか……もう、しっかりして下さいよ、王子。今、世界が危機に瀕してるって、自覚あるんですか? 昨日は、『聖女』にも会ったというのに……」

 ぶつくさ言うペシェンヤを(煩いなあ)と思いつつ、ヴァレニエは、食事を続ける。

 世界を支える『聖石』の力が弱まると、『聖石』は『聖女』を召喚する。

 そして同時に選ばれるのが、聖女を補佐し、守護するもの……『兎』と呼ばれる従者だった。

 今回選出された『兎』は四名。そのうち、一人は、騎士団のトゥイルだったので、ヴァレニエも面識はあったが、他の二人は、面識どころか日常で接点もないような人たちだった。

 そして、残る一人は、他ならぬ、ヴァレニエ自身であった。

 今まで、王子が『兎』に選出された事はないという。神殿では戸惑ったらしいが、それが『聖石』の意志であるならばということで、ヴァレニエも『兎』としての使命を最優先にしなければならない、ということになった。

「ねぇ、殿下。『聖女』さまって、どんな人ですか?」

「えっ?」

「絶世の美女だったら、紹介して下さいよ!」

 軽々しい言葉を口にするペシェンヤに、「お前を紹介できるわけがないだろう!」と怒鳴りつける。

「確かに、悪くはない顔立ちだが……どこにでも居るような顔だった。ひととなりは解らん!」

「ええーっ? そんなぁ」

「一瞬会っただけで、何かが解るわけがないだろう」

 大仰に肩を竦めて言ったヴァレニエは、(けど、あの『聖女』、会ったことがあるんだよな……)と小さく、心の中で付け足した。

 この王宮で、メイドとして働いていたはずの娘だった。但し、この『メイド』というのも、彼女にとっては世を忍ぶ、仮の姿で在るはずだ。なぜならば、彼女は、隣国で、皇太子妃の選出に破れ、なんとかこの国まで逃れてきた、侯爵令嬢だったからだ。隣国の名前も、皇太子の顔も思い出せないが、一応面識はあるので、もし、彼女がこの国へ来たら、多少、便宜を図って欲しいと言うことを頼まれて居たのだった。

 隣国と彼女自身には申し訳ないが、この展開は、この国にとって、大変都合の良い事態であった。

 もし、隣国の皇太子妃となった彼女が『聖女』に選出されていたとしたら、隣国との調整やら何やらの間に、時間切れになってしまう。

『聖女』が選出されるのは、およそ二十八年に一度の周期であった。その都度、『聖女』が聖石に祈りを捧げることで、『聖石』は力を取り戻す。だが、今回は、少し意味合いが違う―――と神殿は言っていた。

(もし、今回、期日までに『聖石』に力が満たされなかったら……)

 世界は、ガラガラと音を立てて崩壊するというのだった。神殿の脅しなのか解らなかったが、わざわざ冗談を言う必要は無いと思うので、その話は事実なのだろうが……。

 それにしても、妙な巡り合わせだと、ヴァレニエは思う。

 隣国に招かれたのがいつのことだか忘れてしまったが、そこで、彼女に出会っているはずだった。

 美しく気高き公爵令嬢。その時の名前は、すこし、違う名前だったような気がするが……。

(きっと、他の『兎』も、彼女の正体を知っているんだろうな……)

 だからこそ、『兎』全員、彼女を見て、微妙な顔をして居たのだろうと、ヴァレニエは思う。

 ただ、王宮で見かけたメイドの彼女は、少しも、ツンとすましたところは、ないように見えた。ひたすらに元気で明るく、『公爵令嬢』であった過去など、幻のように、市井によく馴染んでいるようにも見えた。

「なあ、ペシェンヤ」

「なんです、殿下」

「……世界は、変わっていくような気がするんだ。常識が覆るんじゃないか……っていう、そう言う予感かな」




 食べ残したおにぎりを下げさせてから、ヴァレニエは小さく呟く。

「良いんじゃないですか?」

 ペシェンヤは、下げられて捨てられ行く運命になったおにぎりの一つを救いつつ、ヴァレニエを見ずに言う。「もともと、あなた、なにかの変革を求めてたんでしょ? ……この、朝食のおにぎり一つでさえ、『常識』を疑うひとなんだから」

「まあ、それは……」

「俺は、おにぎり大好きですからね……変革は良いですけど、変な権力を使って、おにぎりを国外追放とかは止めて下さいよ? おにぎりで食ってる米農家だって、むすび処だって、沢山あるんですからね。このおにぎり一つに、何人もの生活と命がぶら下がってるんです」

 珍しくまともなことを言う、とヴァレニエは思いつつ、なんとなく、『追放』という言葉が引っ掛かったが、やはり、頭の中は、靄が掛かったように、何も、答えを導き出すことはなかった。

「……あの聖女が、何かを変える……かな」

「俺はそう思いますよ。あの娘は、なにか、違うと思います」

 ペシェンヤのお墨付きに「お前が太鼓判を押してもなあ」と答えながら、ヴァレニエは窓の外を見遣った。

「すくなくとも、『兎』に選ばれたからには、聖女の為に働かなければならないな」

 そこで、どんな未来が待っているのか、ヴァレニエにも解らないが、とにかく、今は、頑張るしかないだろう。

 空は、どこまでも澄み渡って青く。

 人々は、変わらぬ毎日を、この空の下で過ごしている。

 



 朝の風景・ヴァレニエ編end