朝の風景 タタン編



 この街の朝を支える仕事と言えば、隅からすみまで街を綺麗に掃除する街路清掃員と、街の至るところにある『むすび処』それに、深夜・早朝便の『ぬっこ屋』だろうか。

『ぬっこ』は、この国固有種の大型の猫である。かつては、北の方の国に存在したらしく、神話において女神の車を引くのが猫というものもあるようだった。

 つまり、そのくらい古い時代から、『ぬっこ』は車をひいていたということだ。

『ぬっこ屋』は、ぬっこに車を引かせて物資の運搬を担う運送業者である。

 未明の、薄暗いなかから、『ぬっこ屋』は街中に物資を届ける。

 他国では『ぬっこ』のような大型の猫がいないため、馬車を使うらしいが、馬は蹄の音が立つので、深夜便には向かない。

 その点、『ぬっこ』は柔らかな肉球を持っているので、足音も立たないし、そもそも彼ら『ぬっこ』は夜行性なので夜は強い。

 この街の朝食を運ぶ。今日の仕事に使う物資を運ぶ。

しかし、今朝は様子がおかしい。『ぬっこ』の中でも働き頭である、三毛猫の『のの』が、全く言うことを聞かないのだった。

「困ったなあ……」

 頑として動かない『のの』は、地面に香箱を作って目を閉じている。『ぬっこ』最速を誇る『のの』は、揺れが少なく走ることが出来る為、朝は首都中におにぎりを運ぶのが仕事だ。『のの』が運ぶおにぎりを心待ちした、深夜従事の魔法院の職員たちも多い。

 魔法院は、この国の灯りや、動力の源である魔法を管理しているので、基本的に朝から晩まで、一日中誰かしらが監視業務や保守業務に従事している。

 タタンは全く動かない『のの』の、ピンク色をした鼻先を撫でながら、

「ただでさえ、この事態で大変な、魔法院の人達のごはん、届けないとならないんだけどなあ。キゲン直してくれないかなあ、のの」

 と呼びかけるが『のの』は、目を開けようともしなかった。

 ため息を漏らしつつ、(今日は、違う子で行かなきゃだめかな)とタタンは、半ば諦めた。

 魔法院務めの職員は、『ぬっこ』好きが多く、毎朝、『のの』に会うのを楽しみにしている人もいる。魔法の源である『聖石』が力を失いつつある現在、魔法院の職員たちは、なんとか少なくなりつつある魔法の供給をコントロールして、人々の日常生活に支障がないように努めているはずだった。

 その職員たちの、ほんの少しの癒やしにもなっているので、是非にも『のの』を連れて行きたいところだったが………。

 東の空が白みはじめている。そろそろ、出発しなければならない時間だった。

「仕方がないなあ、今日は、『とと』に行ってもらうか」

 おっとり屋の『とと』は、黒猫だ。『のの』に比べれば、スピードはないが、安定してよく走ってくれる良い子だった。朝一番の、おにぎり配送便なら、問題なくこなしてくれるだろう。

『のの』に付けた荷台を外そうとしたとき、後ろから声を掛けられた。

「あれ? タタンさん、まだ出発してなかったんですね。珍しいや」

 同じ『ぬっこ』屋務めの、今年の新人だった。シュナという名前の、まだ十八歳の若者だったが、この国では、大抵、十五六になると働きに出るので、特別に早いというわけではない。仕事を始めて間もないおかげで、まだ、体つきも細くて頼りない感じはするが、『ぬっこ』とも親しくなって、仕事は順調なようだった。

 この仕事は『ぬっこ』との相性が何よりも重要になる。

 どんなに本人にやる気があっても、仲良くなってくれる『ぬっこ』が居ない限り、車は出せないからだ。

「ああ、シュナか。帰ったところかい?」

「うん、丁度帰ったところです……俺は、深夜便だから、早朝とか日中の人ほど大変じゃないですけどね。今日は、港町アレファラと往復してきたからちょっと疲れましたよ」

 首都である、このブランの街から、港町アレファラまでは、人が歩いて行けば、北へ真っ直ぐほぼ半日かかる。それを『ぬっこ』だとものの二時間で往復するのだ。

「今日は、魚を積んできたの?」

 港町アレファラでは毎日、湖で捕れた魚が水揚げされる。

「ああ、今日は、お魚です。だから、『ささ』に行って貰いました。あの子、お魚好きじゃないんで」

 たしかに、とタタンは大きく頷く。往復でお腹を空かせた『ぬっこ』が、錯乱して積み荷を食べないとは言いきれない。

 なにせ、相手は『ぬっこ』なので気まぐれだった。

「ああ……でも、タタンさん、今日はちょっと怖かったですよ」

「怖かった? 何が?」

 声を潜めて言うシュナに、タタンが聞く。

「……実は、港町アレファラまでの街道、灯火制限されてたんです」

「えっ?」

 灯火制限というのは、文字通りで、通常ならば宵の口から灯されている、魔法による電気が付かないと言うことだった。

「そんなに、深刻なんだ……」

 タタンは、思わず、呟いていた。



 たしかに、『聖石』は力を失いつつあり、『聖女』が選出され、その守護者たる『兎』としてタタンも選出された。だが、世界に危機が訪れているという実感を持つことは出来なかったのだった。

「街道の灯りが制限される事態とは思わなかったな……」

 つまり、それは、『聖石』から得ることが出来る魔法の総量が少なくなったということで、灯りなどのインフラを担当している、魔法院が、必死に計算してコントロールしていると言うことなのだろう。曰く―――余計な魔法力を使うことは出来ない、ということだ。「俺もそう思いますよ。『ぬっこ』は夜行性だから、夜目もきくし、問題ないですけど、俺らは、困りますよ」

「そうか……じゃあ、深夜便の人たちは、カンテラでも持つようにするしかないかも知れないな」

「そうですね。……あとは、タタンさん、折角『兎』になったんですから、『聖女』様と一緒に、ちゃちゃっと『聖石』をなんとかして下さいよ! じゃないと、俺、長距離便から足を洗いますからね」

 シュナは、ニカッと笑った。シュナは、なかなかの成長株だった。数年もすれば、昼夜を問わずに、いつでもどこでも荷物を届けることが出来るようになるだろうとタタンは思う。

「僕たちになにか出来るもんかなあ……」

 正直、『兎』に選出された意味がわからなかったし、何をするのかも解らない。先日、王宮に召喚されたときも、何をする役目なのか、具体的な話はなかった。

「でも、あのトゥイルさんとかも、『兎』に選ばれたんですよね? 騎士さんが一緒だったら、心強いんじゃないですか?」

「僕らは、戦ったりはしないけどねぇ……まあ、うちも、息子も居ることだし、頑張らないとならないのは、事実だよね」

 タタンは、脳裏で息子のナタの姿を思い浮かべた。

『親』として、息子の成長と、息子の住む世界を守らなければならないという気持ちは、確かにある。

「まあ、数週間後の世界の破滅より……今日の朝ご飯だね。『のの』は、あとで、トゥイルさんを連れてきて上げるよ」

 タタンは『のの』の鼻先を撫でながら言う。『トゥイル』という名前を出した瞬間、ピクッとヒゲが動いたのを、タタンは見逃さない。なぜか、『ぬっこ』たちは、トゥイルのことをえらく気に入っていた。

 トゥイルが『ぬっこ』屋に現れると、その場にいた『ぬっこ』が立ち上がって、トゥイルにごろごろと甘えに行くくらいなので、相当だろう。機嫌の悪い『のの』も、トゥイルが来てくれれば、少し機嫌を直してくれるかも知れない。そう思いながら、タタンは、『とと』と共におにぎり配達へ向かったのだった。