朝の風景 一六編




『日付とは何だろうか』





 普通のひとならば、日中働き、夕刻に帰宅して家族と共に過ごし、そして、眠りに就くのであろう。そして、再び朝が来たとき、爽やかな気持ちで新しい一日を迎えるに違いなかった。

 しかし、一六には、朝の概念がない。正しく言うならば、日付の概念がない。

 多くの人たちにとって『時間』を想像した時に、円盤に書かれた長針や短針、日ごとに捲られ破り捨てられていく、暦の類いのような、分断を伴うものであるに違いない。

 だが、一六は、そうではなかった。

 一六の世界では、時間というのは、一本の帯状に繋がっていて、それは、おおむね過去へ戻ることは出来ないし、一飛びに未来へ行って帰ってくるなどと言うご都合主義ができるはずもない。分断なく続いていくもので、そこに便宜上の区切りが現れるというのが、一六の概念だった。

 働き始めて、昼を過ぎ、夕方、深夜と駆け抜けて、また朝が来て、それから、また昼が来る。

『一日』の仕事を終えて、帰宅すると言うことがない。

 帰宅は、仮眠のために戻ることがあるが、とにかく、毎日朝から朝まで仕事のし通しだった。

 そんな仕事漬けの一六だったが、この明け方だけは、すこしだけ楽しみがある。東の空が白み始める、薄明の頃、夜と朝の狭間の時間に、音もなくあらわれるものの姿を心待ちにしているのだ。

 朝方、ここへ来るのは、魔法院からの朝食のおにぎりだった。そして、大量のおにぎりを、魔法院を始めとした、町中に配る重責を担っているのが『ぬっこ』であった。

 大型の猫である『ぬっこ』は、一六のように夜通し働く、魔法院の職員たちの、唯一の癒やしであった。

 おにぎりは、食堂で受け取れば問題ないはずだが、この時ばかりは、魔法院の職員達は、『ぬっこ』に会うために外へ出る。一六も、いつも通りに外へ出て、おもわず「あれっ?」と呟いていた。

 ここへ来る『ぬっこ』は三毛猫の『のの』と決まっているのだが、今日は、黒猫だった。

「おはよー、ございます。タタンさん。あれ? 今日は、『のの』じゃないんですね」

『ぬっこ』屋のタタンは、馴染みの顔だった。そして、最近、同じ使命を持った人間として、王宮で顔を合わせることになった。

 世界を救うという、『聖女』の守護者である『兎』。

 一六とタタンは、共に、『兎』に選ばれたのだった。

 何故、選ばれたのかは、解らない。ただ、ある朝、『兎』の印が身体に浮かびあがったのだった。それだけだった。

「あ、一六さん、いつも、酷いクマですね……今日は、『のの』は気が乗らないみたいで、動いてくれなかったから、あとで、騎士団のトゥイルさんに来てもらわないとならないんです」

 はは、とタタンは笑う。いつも、笑っているような顔をして居るタタンなので、苦笑は珍しいと一六は思った。

 トゥイルは、タタンの言う通り、騎士団所属の騎士だが、今では、同じ『兎』仲間同士、という関係でもある。一六としては羨ましいことこの上ないことに、トゥイルは何故か『ぬっこ』にモテる。全『ぬっこ』がトゥイルを見ただけで、寄っていくという奇特な体質だった。

「あー、それは……良いなあ、トゥイルさんの体質、僕が変わりたいですよー」

「でも、この子達に舐められると結構大変なんですよ」

「でも、舐められてみたいですよー」

 一六は、黒猫の『とと』に近付く。『とと』はというと、金色の瞳で、チラリ、と一六を見遣ってから、ぷいっと顔を背けてしまった。

「はは、僕は、いつも、嫌われるんですよね……」

「ああ、『ぬっこ』って、『ぬっこ』好きな人には、あんまり懐かないんですよ……」

 タタンからもたらされた意外な事実に、軽く絶望感を覚えつつ、一六は「そんなあ」と情けない声をだした。

「将来は、のんびりした『ぬっこ』と一緒に暮らしたいって思ってたのに……。僕は、『ぬっこ』屋に、就職しようと思ってたんですよ、元々は」

「あら、そうなんですか?」

「そうなんですよ。……でも、なんだか、魔法院から、『ぼっち適正』があるとかなんとか、よく解らない理由で無理やり召喚されて、それで、魔法院勤めですよ、気が付いたら」

 泣きそうな声を出す一六に、タタンが「いや、一六さんが優秀だから、『ぬっこ』屋では勿体ないという、国の判断ですよ」と言うが、一六の気持ちは収まらなさそうだった。

「優秀っていっても、僕なんか、たかが知れてます」

「また、謙遜を。一六さんが、魔法院を率いているといって過言でないと……魔法院の方達から良く聞きますよ?」

「僕よりも凄い人が居たんです、首席研究者の中でも、群を抜いた天才……。千年に一度の逸材と言われていた、魔法院きっての才女が、彼女でした」

「彼女?」

 懐かしむようにいう一六に対して、タタンは、怪訝そうに聞く。

 一六は、少し、間を置いてから、タタンに答えた。

「聖女・エクレアです。彼女は、かつて、魔法院の首席研究者でした。あれほどまでに優秀な研究者兼技術者はいませんでした。今の、この国の魔法を使った灯火制御は、彼女の手によるものなのです。それが、何故か急に失踪して……まさか、『聖女』となるとは思ってもませんでしたよ」

「そ、そうなんですか……なんか、僕が知ってる彼女とは、ちょっと違うなあ……」

「魔法院を辞めてから、色々と、苦労を重ねたのでしょう。以前の彼女は、鋼鉄のような方で、誰も寄せ付けない感じがありましたけれど、今は、普通の女の子に見えて……まあ、少し、戸惑っていますが、今の、この世界の状況を考えると、彼女のような逸材が、聖女であると言うことが幸運なのだと思います」

 一六は、そう告げて、魔法院の様子を思い出した。

 連日深夜から早朝まで働くのは、そうでもしないと、この国を支える灯火制御や、動力など、魔法制御して動作するすべてが、正常に動作できなくなる。それほどまでに、魔力の源である『聖石』の力は弱まっている。

 そこへ力を吹き込むことが出来るのが『聖女』である。

 魔法院の仕組みを熟知している彼女が、それを行うと言うのは、万が一の事態が発生したとき、非常に心強い。

「世界の様子は、そんなに悪いんですか?」

 声を潜めて、タタンが聞く。ぴくっと『とと』の耳が動いた。

「ええ。悪いですよ。三週間で世界を救わなきゃならないと言うのは、あながち、嘘じゃないんです。今までも、聖石によって聖女が召喚されることはありました。でも、今回は、今までとは違うんです」

「違う?」

「もし、三週間で、聖石に力が満たされなかった場合……、この世界が、滅びるかも知れないと言うことです。その可能性があるのを、僕たち魔法院は、王宮へ連絡しています」

 一六の顔は、どんよりと曇って覇気はなかったが、眼差しは、真剣そのものだった。



「だから、僕たちは、何としてでも『聖女』と共に、この世界を救わなければならないんです」

 一六の決意を激励するためか、『とと』が立ち上がって、一六の顔をぺろっと舐めた。

「あ、痛っ!! 意外に、ざらざらするっ!!!」

『とと』はと言うと、一瞬顔を顰めてから、ペッと唾を地面に吐き出したので、こちらも、味は気に入らなかったらしい。

「まあ……、すべては、聖女次第ですね」

「ええ……」

 一六はおにぎりを頬張りながら、空を見上げた。雲一つない、胡散臭いほどに爽やかな青空だった。





 end