桜町商店街青年部 3月の風景
『ホワイトデーの男二人』 入江栞&杉山勲

「疲れたー、もう一歩も歩きたくない~」
杉山の膝に頭をのせて、ダダを捏ねるように栞は言った。
ホワイトデーが終わり、店の片付けまでして、なんとか自宅へ戻ってきたが、一歩も歩きたくない。
栞は、桜町商店街で、飴屋を営んでいる。
バレンタインデーが終わったあたりから、ECサイトの注文分の発送と、飴の製造、そして店頭の販売と、一月、息を吐く間もないくらい忙しかった。やっと、まともに横になった……と栞は目を閉じる。
「おい、ここで寝るなよ?」
杉山は、栞が帰るのを、ウイスキーを傾けながら待っていた。やっと帰ってきたと思ったら、いきなり膝枕だったので、杉山も驚く。
「えー、良いでしょ~? 杉山さん、俺のウイスキー飲んでたくせに~」
「お前、スナック行くと必ず勝手に俺のボトル開けてるじゃねぇか。……まあ、このウイスキーのほうが高いけどなあ……」
「そーだよ~……本当に疲れたんだから、たまには、癒やしてよ~」
だだをこねるようなことを言う栞に、ため息を漏らしつつ、杉山はテーブルの上に置いた小箱をとりだした。可愛いラッピングがされていて、リボンが掛かっている。
「……なにそれ?」
「ホワイトデーだろうが」
「えー、杉山さん、うちのお店で買わなかったよね、俺の店の飴とか、杉山さんは食べたくないんだ。えー、酷ーい」
「なにめんどくせぇこと言ってんだ。……飴じゃネェよ」
「え、なに?」
「チョコレート」
「ホワイトデーなのに?」
「……わざわざ、隣町の洋菓子屋で、買ってきたんだが。まあ、いらねぇなら、俺がウイスキーのアテにするだけだな」
「えっ、嬉しい。……杉山さん、ちゃんと、俺に、ホワイトデーやってくれるんだ。嬉しいなあ……。開けて良い?」
「勝手にしろよ」
ぶっきらぼうに言いながら、杉山は栞に箱を渡す。栞は、ラッピングを解いてリボンや包装紙をそのまま床に落とした。杉山が、眉を顰めて「お前、ラッピング、もうちょっと綺麗に剥がせば良いのに、ビリビリだし、床に落としてるし……」とブチブチと文句を言っている。
「良いじゃないの~。ラッピング、再利用しないために、わざとビリビリに破いてるんだよ」
「再利用……」
「そうそう。あっ……凄い、美味しそう。生チョコだ」
小さな箱の中に入っているのは、生チョコレートだった。ココアパウダーで化粧した生チョコレートは、整然と並んでいる。
「それ、前に、天空(しえる)が持ってきたんだよ」
天空は、杉山の舎弟の年若いヤクザで、栞のことも「兄貴」と呼んで慕っている。
だが……。
急に、栞の雰囲気が、すっ、と冷えた。
「えっ? どうしたんだよ」
「ふうん? 他の男から貰ったのと同じもの、俺にくれるんだ。杉山さんは。へぇ?」
事実だけを抜き取れば、確かにそうかもしれないが……。
「天空はただの舎弟だろうが。あいつと、どうにかなんか、絶対にならねぇだろって。……あいつに手ぇだすなんか、絶対にゴメンだ」
「杉山さんが手を出される可能性もあるでしょう~?」
非難がましい声を出す栞に、はあっとため息を付いた杉山は「野郎とどうこうなんのなんか、もう、お前でこりごりなんだよ」と呟いて、ウイスキーを一口飲んだ。
「嘘だったら、怒るからね」
「……ったく……」
大仰に一度ため息を付いた杉山に、栞は、にんまり笑ってから「ねぇ、杉山さん、チョコレート、食べさせて」と強請る。
「起き上がらないのか?」
「寝たまま食べたい」
「ったく……怠惰だなあ」
文句は言いつつ、杉山は生チョコレートを一つ摘まんで、栞の口許へ持っていった。
「ん……美味し」
「だろ、これ、美味かったんだよ。だから、お前に……と思って」
「ふうん? じゃ、天空くんから貰って、一人で寂しく食べてるとき、俺のこと思い出してたんだ」
栞がにやにやと笑う。
「あーそーだよ。だいたい、うまいもんとか、お前のことを思い出すな」
「ふうん? ならいっか……杉山さ~ん、もう一個」
「ったく自分で食えよ」
と言いながらも杉山は、チョコレートを摘まんで栞の口許に持って行ってやる。その杉山の手を、栞が捕らえて、ぺろぺろと、手に付いたココアパウダーを舐めとっている。
「お前なあ……」
「杉山さん~、チョコレート甘すぎる。……ウイスキー頂戴」
「てめぇのウイスキーだろ。……起き上がって飲めよ」
「やだ~、口移しが良い~」
「えっ? ……なっ、何言って……っ!?」
「……良いでしょ~? ホワイトデーなんだし~」
杉山が、ぐっと言葉に詰まった。「ったく、お前は」と言いつつ、ウイスキーを一口含んで、そのまま、栞に口移しに飲ませてやる。
しばらくして離れた時「うん、たしかに、ウイスキーに良く合うなぁ。……杉山さん、お勧めしてくれたもんね。……もう一回食べたい」などと栞が笑った。
「お前は……」
といいつつ、杉山は、チョコレートに手を伸ばした。
了