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桜町商店街青年部 7月の風景

『ベース練習』   原健太郎・小森光希


 
「へー、なんか昼間は印象違うなあ」
 あたりを見回しながら、原健太郎は言う。夜の熱気が部屋の底に溜まっているような、不思議な雰囲気があった。ひたすら静かで、だが、なんとなく、残り香のような人の気配がそこかしこに存在している。
 桜町の数少ない名所である『クラブ・ラクーン』は、夜になると老若男女が集う場所になるが、昼間のいまは、まるで人がいない。
「別に、練習付き合わなくていいのに」
 ぽそっと呟きながら、小森はベースを鳴らす。低くて丸っこい音だった。
「付き合うっていうか、昼間のここなんて、来る機会もないし」
「慧に言ったら、入れてくれるでしょ」
「それはそうなんだけどさ」
 と呟いてから、健太郎はドリンクを飲む。隣町のコーヒースタンドで買ってきた、甘くてたくさんのトッピングが乗った、冷たいドリンク。
 日本全国どこでも飲める。そして、日本全国、どこでも人気だ。
「今どき、バンドって珍しいからさ、たまに見てみたかったんだよ」
「時代遅れで悪かったな」
「別に時代遅れってことはないだろ?」
 健太郎は、DJブースの方へ目をやる。夜であれば、ここ、『クラブ・ラクーン』のオーナーDJである五十嵐慧が、操作をしているはずだが、いまは当然、誰もいない。
「いまは、デジタルの音がメインだと思うよ。バンドもあるけど」
「うーん、なんていうのかな。でも、どっちでもいいんじゃないかと思うんだよね。アナログだって、若い子たち聞いてると思うし、みんな、ライブって好きでしょ?」
 それはアーティストに直接会いたいという意味ではないかとも思うが、それでも、実際に生で音楽を楽しみたいという人が、多いのも確かだろう。
 純粋に音楽じゃないよ、と何故か否定的な気持ちにはなりつつ、
「まあ、すきなんじゃない?」
 と小森は返す。
「なんかさ! 俺は、家を継いで、肉屋やってるだけだけどさ、お前とか慧とかは、すごいよな。ちゃんとやりたいことやってて」
 爽やかな笑顔で言われて、小森は少しだけ苦笑いする。
「潰れかけのスナックの男店員だよ」
「バンドマンじゃないか」
「そっちは趣味だよ」
 お金にもならない。けれど、家の手伝いである、『スナックの男店員』も、そういえば、お金にはならない。その他、日中、バイトをしなければ自分のお金はない。
「そっか。でもさ、大人になってから趣味があるのも凄いって! 俺なんか、気がつくとゲームの課金でお金溶かしてるし」
 もったいないなあ、とは思ったが口には出さなかった。そのゲームを楽しんでいるなら、立派な趣味だろう。そのための出費を、他人がとやかく言うのはおかしなことだった。
「そうなんだ」
「うん。あっ、だけどさ、もしお前が、ライブやるなら絶対に観に行くからな!」
「来たことないクセに」
 ベースを鳴らす。いつもより、音が明るい。
「お前が教えないからだろ。チケットとか、割当とかあるんじゃないの?」
「あるけど……だいたい捌けるよ。聞きに来てくれる人もいるし」
「すげー! それ、すげーって。なあ、お前の店でもショータイムやったら?」
「……届け出とか、必要じゃなかったか? なんか、いろいろあるんだよ、風営法とか」
「そうなの?」
「そう」
 店で、ベースを弾いたとしても、BGMにもならないだろう。うるさいと言われて終わりだとは思う。そして、酔っぱらい達に聞かせるのも、なんとなく癪だ。
「次のライブは?」
「ん? 未定。……みんな社会人だと時間が合わなくて困る」
「でもさ、ちゃんと練習してんのな」
 小森は健太郎を見上げた。健太郎は、ドリンクを飲んでいる。涼しい顔をして飲んでいた。
「まあ、そりゃ、弾いてるだけで楽しいし」
「そっか。じゃあ、どこかのタイミングで、ライブやるなら、今度は声かけろよな」
「ああ」
 と言いながら、きっと、そんなことはないのだろうなと小森は思う。それでも、なんとなく、もし、次のライブがあったら、誘ってみようか。
「チケットノルマ、三十枚な」
 健太郎が「えー、さすがに三十人も知り合い居ないよ~」と、情けない声を出した。